28mm F2.8



私がまだ20才の頃。当時通っていた写真学校の卒業制作にと長崎までカメラ片手に旅をした。

持って行ったカメラはアイレベルファインダーの付いたNikon F2。レンズはカメラに付けた

28mm F2.8が一本。フィルムはTri-X。

今の高度に自動化したオートフォーカスデジタルカメラからは想像できないかもしれないが

カメラに露出計など付いていない。当然露出はカンで決める。

フィルム現像はD-76(1:1)を24度で8分半でやっていたので、だいたいISO800くらいの感度が

出ていたと思う。これで晴れていたら1/1000 F8、日陰がそこから3段あけて1/125 F8。

室内が1/30 F5.6であとは適当に微調整すれば、何とかフィルムのダイナミックレンジに収まる。

レンズを一本しか持って行かなかったのは、重くなるのがイヤだったのと、いろいろ持って行っても

交換するのがめんどくさいから。

28mmの画角は「あっ!!」と思って立ち止まった位置から一歩踏み込んだところが撮影ポジションになる。

スナップには最適なレンズだし、ここはどのレンズでと考えるより先に自分の中にあるポジションに

スッと入り込むといった撮り方がしたいと思ったのだ。

もうずいぶん昔のことで、何時にどこを通ってというようなことは、すっかり記憶から消去されてしまったが

何本も列車を乗り継いで行ったように思う。

季節は夏。精霊流しに合わせてスケジュールを立てた。

本当は精霊船を作るところからドキュメンタリー風に撮ろうかと思っていたのだが、結局いつものように

街をあてどなく歩きながらスナップすることになった。

あれからおよそ30年。今になってそのときのネガを見直してみると当時選ばなかった写真が良く思え

改めて数点選んでみた。

当時の感覚が甘酸っぱい感傷とともに口の中に広がった。

そういえば最近、ファインダーをのぞいたときの違和感が気になっている。

今までメインで使っていたカメラはNikon D200。レンズはVR 18-200mm F3.5-5.6。

NikonのDXフォーマット機だ。DXフォーマットは今更言うまでもないがライカ版の1/1.5のサイズの

撮像素子を使っているので使用レンズの画角がおよそ1/1.5になる。

ブローニーフィルムを使うスタジオでのブツ撮りや、4x5を使った建築写真など多種多様なフォーマットの

フィルムを使っていたせいか、レンズの焦点距離と画角の関係がライカ版と違うこと自体に違和感はない

のだが、DXフォーマットの場合現実的に使用レンズがズームレンズのみとなり、画角が固定されない

ことに違和感を感じるのだ。

ズームレンズは確かに便利で、撮影現場で何本ものレンズをガチャガチャいわせながら交換する手間を

はぶくことができる。シャッターチャンスにも強くなるし、デジカメの撮像素子になるべくゴミを付けないためにも

よいと思う。

でも、ズームレンズの無限の画角変化になれてしまうとシャッターを押す時の感覚まで

柔らかいゼリーの上を歩くように、つかみ所のないものになってしまったように感じる。

カメラとレンズが視神経の延長に感じられなくなるのだ。

昔撮影した写真を見ながらそんなことを考えていた。

そこでやはりレンズは28mm F2.8となるわけだ。ちょうど手元にはF100用にと昔買い、今はF6に

付けっぱなしになっているAiAF 28mm F2.8Dがある。低照度下での撮影を考えればF1.4とかF2などの

28mmレンズもいいのだが、軽快さが違う。

Nikon D700はバッテリー、CFなしで995グラム。最近販売が開始されたnikon D90は620グラムとD700の方が

ずいぶんと重いが、D700にAiAF 28mm F2.8Dを付けると1200g、D90にAF-S DX VR 18-200mm F3.5-5.6G

を付けると1180グラムとほぼ同じ重さになる。

軽快な28mmの単焦点レンズを付けたD700のファインダーをのぞくと、頭の中のモヤモヤとした霧が

晴れたようにスッキリと被写体に向き合えるような気がした。ズームレンズの、いかにもレンズを操作して

いるといった感覚がなくなり、カメラが視覚の延長になったように感じられる。

指先でなく、身体全部を使ってフレーミングしていく快感を久しぶりに思い出しながらD700のシャッターを切った。