魔法

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「じゃあ、ここでお別れしましょ」


響きわたる鐘の音。

教会の前に車を止めると、わたしを降ろす姫子さん。

「セツミ、もうお見舞いに来ちゃダメよ」
「えっ?」

突然の言葉。
それは、もう二度と会えない、別れを意味していた。

「ねえ、こんな時わたしは。
 残される者は、どうすればいいの?」

「別に、普通でいいのよ」

「もっと具体的に言って」

「言葉の通りよ。普通のまま、自然でいて」

親しい人が、まもなく死ぬというのに、もうこれで二度と会えないというのに。
その場に残される者が、普通でいられるのだろうか。

「むずかしいこと、言わないでよ」

「じゃあ、笑って見送ってあげて」

「………………」
「もっとむずかしいわ…」

そして、わたしに背を向けると、目の前の教会に向かって歩き始める姫子さん。

そんな後ろ姿に向かって、わたしは最後の問いを投げる。

「姫子さん、最後にもう一つだけ教えて」

「いいわよ」

「ネロは、…アロアは……幸せだったの?」

「……………」

その問いには、無言のまま俯いてしまった姫子さん。
やがて。一旦、教会を見つめ、次に大きく空を仰ぐと。

「さあ…どっちなんだろうね。……あはは、よくわからないね」

そう言って笑ってみせてくれた。

まもなく、この世界から消えるであろう彼女なのに。
最後に、いつもの笑顔を向けてくれた。

「それじゃあ、さよなら……コロッケ博士」




こうして。

40日におよぶ一夏の友達は、7階へと消えた。

名前は姫子、お姫さまの姫に、子供の子、血液型AB、23才、てんびん座、女性。
ビニールの認識腕輪の色は、白。

1999年度、世界総数10億人にも及ぶ、カトリック信者から一人が消えた。

「わたしに変なあだ名と、不思議な魔法をかけ、この世界からも、消えた」
見上げれば高い日。響きわたる教会の鐘の音。
どこまでも続く青空。けたたましく鳴く蝉の声。

まもなく夏は終わろうとするのに。
今日も、暑い日になりそうだった。







あんなに長かった夏が終わり。
駆け足で秋が過ぎ、気の早いクリスマスソングが街頭に流れ出す頃。

コンコン

「セツミ、荷物が届いているわよ」
「あ、うん」

お母さんから受け取った郵便小包。
普通で考えれば、わたしに荷物が届くことはない。
でもわたしには、一つだけ思い当たることがあった。

着日指定の小包、その差出名。もしやという予感と共に確認すると。

アロア。

小さくボールペンで書かれた文字。姫子さんからだった。
生前の、いつに出された物か分からないけど、違うものをプレゼントすると言っていた。

そして、恐る恐る。期待と同じくらいの不安と共に中を開けてみると。

「ワンピース?」

夏っぽい白地に、可愛い黄色のひまわり柄。
それはかつて、何度も買ってあげると言われた、わたしが欲しそうにしていた物だった。

手に広げたワンピースと、窓辺のハンガーにかけた洗いたてのパジャマ。
そして、今も着ているセーラー服。
かつての日常の証として、唯一、わたしが持っているパジャマ以外の服。

心が、揺れた。

うれしくて、思わず袖を通そうとしたわたし。
でも、その手を止める。
そして、再び箱へ戻すと。もっと受け取るに”ふさわしい”人の元へと向かった。




チン

数ヶ月ぶりにやってきたこの場所。
ナースステーションの横をすり抜け、目的である彼女の姿を探すが、どこにも見当たらなかった。
そして、かつての姫子さんの病室には、当たり前だが、見知らぬネームプレート。
中に居た車椅子に乗ったおばさんに小さく会釈すると、わたしは7階を後にした。




帰りがけ。ふと目についた中庭。
そこには、ちらほらと咲き始めた水仙の花。

他の花壇が、荒野と化した今の時期、独り咲く姿は、凛として美しいと思った。



響きわたる鐘の音。ここに訪れたのは、姫子さんの告別式以来だった。
そして、探していた人物に向かって声を掛ける。

「千尋さん」
「あ、セツミさん。お久しぶりね、どうしたのこんな場所まで」
「病院に居なかったから」
「ああ、ヘルパーはもう辞めちゃったから。少し気持ちが落ちつくまで、お休みすることにしたの」

そう言って、以前と変わらぬ、穏やかな顔を見せてくれる。
その表情から、わたしの義務はないのかも知れないと思えた。
代わりに文句を言う必要はないと、告げられたように思えた。


「ところでどうしたの? もしかしてお祈りに来たの?」

「ううん、そうじゃない」

言いながら、トートバックから服の入った箱を差し出す。

「プレゼントよ、お姉さんから」
「えっ」
「ちょっと小さいかも知れないけど」
「………………そう、ありがとうね」

箱を受け取り、言葉ではそう返すが、どこか困ったような表情を浮かべていた。

「千尋さん?」
「うん、ごめんね。実は、お姉ちゃんから聞かされてたんだ」
「なんのこと?」
「もしかしたら、セツミさんが、私にそう言ってくるかもって」
「えっ」
「でね、その時は。これを渡してくれって」






ベッドの上に広げた地図。

そこには、国道、高速、名も知らぬ無数の道。
都道府県別に、数万分の1の広域図と、3千分の1の詳細な市街図が描かれていた。

ワンピースを返して、地図をもらった。

もしかしたら姫子さんは、予想していたのだろうか?
わたしが、”こちら”を選ぶことを。

そして、地図に挟んであった一通の封筒。
その中に入っていたのは、1万円札が5枚。

かつて、地図を見ながら。
これだけあればどこへでも行けると言っていた。

「これが、最後に笑える為の、残り半分の魔法なのだろうか」

祈りがあるなら、呪いもある。
恐らくわたしは、そのどちらも選ばない。選べない気がする。

そんなわたしは、一体どうなってしまうのだろうか。

「こんなわたしでも、いつかは笑えるのだろうか」

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