誰が為に
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標高、約3000m。そして、身を防ぐ為の、高いフェンスもない。
「セツミ、聞きたいことがあったら今の内よ」
その言葉に、わたしは色々と思いを巡らす。
でも、幾つもの質問を持っていた筈なのに。
何故か、その一つ一つを言葉にするのが難しかった。
「もっと、姫子さんのことを教えて」
これでも、わたしなりに考えた末での問いだった。
「私のことを聞きたいの?
それとも、私のような立場にある者のことを聞きたいの?」
「…姫子さん自身のこと」
「………………」
「私は、この世界にごまんといるクリスチャンの一人よ。それ以上でも、それ以下でもないわ」
だけど今、その神さまに向けて文句を言おうとしている。
そして恐らくは。最大の禁忌も破ろうとしている。
「じゃあ、以前のフランダースの犬の話。どうしても、3人の中から選ばないといけないの?」
「ええ、人にそれ以外の選択肢はないわ」
強く言い切った。
去る者であるネロ、残される者のアロア。
決して交わることのない両者。
「じゃあ、姫子さんは。誰?」
「………………」
その問いに答えはなかった。
少しずつ空が白みだすこの場所で。
空に手が届きそうなこの場所で、黙って俯いていた。
「どうやら、時間が来たようね」
そう言うと、空を見上げる姫子さん。
「セツミ、受け取りなさい」
そして、ポケットから何かを取り出すと、わたしへ手渡す。
「ロザリオ?」
「別に捨ててくれてもいいわよ」
「只、もう私には、持っている資格ないからね」
それがどういう意味を成すか。それは問わなくても分かる。
だけど。
今まで、元と言いながらでも、ずっと持ち続けていたのは何故だろうか。
それを考えるとわたしには、本心では、そんなことしたい訳じゃ無いように思えて。
「本当にいいの?」
「祈りがあるなら、呪いもあるってことよ」
「………………」
「やめて欲しい、そう言っちゃダメ?」
「……………… 理由によるわ」
理由。引き止める為の。
もしも、姫子さん本人が望んでいたとしても?
既に7階の住人で、未来が閉ざされているのに?
もし、生きると同じように。
人には、死ぬ権利も与えられているとすれば。
それを止めるだけの理由とは。
一体、誰ならば持ち得るのだろうか。
まだわたしは、なにが正しくて、なにが優しさになるのかも知らないくせに。
「うぅ、ひっく、うぅ」
何故か、泣けてきた。
傍に居ながら何も出来ない、自分の無力さを思い知らされた。
明け始めた、どこまでも続く空を見上げると、無性に哀しくなってしまった。
どんなに考えても、引き止めるに値する理由など、わたしには持ち得ない。
姫子さん自身が決めたことならば、わたしに口出しする権利は無いのかも知れない。
だけど、仮にそうだったとしても。
例え、引き止めるべき理由を持たなかったとしても。
「だ、だって、わたしも哀しいから」
他の誰でもない、このわたしが哀しいから。
このわたしが、止めて欲しいから。
例えそれが、わたしの、残される者の一方的なエゴだったとしても。
自分の痛みには耐えれても、相手の痛みは耐えれないから。
去る者が哀しむことは、残される者も一番辛いから。
それに。まだわたしには。
「アロアは、無理だよ… うぅ、ひっく、うぅ」
「そんな顔しないでよ。そ、そんな顔されると、私も辛くなるじゃないの」
「うぅ、ひっく、うぅ」
「どうして、泣いているの?」
「ば、ばか、知らないの」
「こんな時には、泣いてもいいのよっ」
姫子さんが泣いた。
空へと手が届きそうなこの場所で、初めて涙を見せた。
こんな時わたしは。
どんな言葉をかければ良いのだろうか。
一体、なにが優しさとなるのだろうか。
それが分からないから、只、少しでも早く泣きやむようにと。
少しでも早く、いつもの笑顔にもどってくれるようにと。
背中をぽんぽんと、優しくさすってあげるくらいしか出来なかった。
「や、止めなさいよ。
中学生に労わられるほど、やわな人生送ってないわよっ」
「気にしないで、病人歴ならあなたより上よ」
「うぅ、ひっく、うぅ…
な、なによ、年下のくせに」
青紫の夜明けが白みだし、日の出へと変わる。
吹き始めた風が、山あいを抜け寂しげな音を立てる。
姫子さんが泣いた。谷間を吹く風も哭いた。
たぶんわたしも、泣いていたんだと思う。
「止めるわ、文句言うのは」
そう言いながら、空に向かって手を合わせようとする。
「じゃあこれ、返すわ」
「そうね、これがないと効果薄かったわね」
そして、わたしが返したロザリオを自分の首へ掛けると、
高い高いこの場所から、更に高い空へと向かって祈りを捧げた。
「よく聞きなさい、難聴気味だろうからここまで来てやったのよ。
別に、私のことはもうどうでもいいわ。
だけど、少なくとも私のことで、
いつまでも、心を痛める人がいないようにして。
そして、少しでも早く、立ち直るようにして」
まるで、独り言のように淡々と呟く姫子さん。
他にもいくつか言葉を続けるのだけど、
わたしにはそれ以上、何を言ってるのか分からなかった。
もしかしたら姫子さんは、神さまと仲直りしたのだろうか。
その表情は、悲愴感や憐れみではなく、凛とした、美しさにさえ思えた。
そしてこれが、決して交わる事のないと言った両者の、
去る者が、残す者に対する願いなのだろうか。
「ふう、これで全てよ」
そして、わたしの方へと向き直ると、
「どう? 月並みなお願いで拍子抜けした?」
「ううん」
わたしは小さく首を振る。
例え月並みなお願いだと言われても、もし自分が姫子さんの立場なら、
彼女と同じように、残す者のことを純粋に願えるだろうか。
「セツミ、あなたは証人よ」
「わたしが?」
「ええ、もし願いを違えた時は。次は、あなたが代わりに文句を言ってね、神さまとやらに」
「それが、ここにわたしを連れてきた目的?」
「まあ、半分はね」
「………………」
「残り半分は、やっぱり秘密?」
「そうねえ…」
そう言って、しばらく考えていたかと思うと。
「魔法、みたいなもんよ」
「魔法?」
「ええ、今は効果なくてもね。きっと後で効いてくる筈よ」
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